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智水社

国難のときに限ってトップはグダグダ

 今日は防災の日。関東大震災に由来しているようです。地震ってほんと怖いですよね。自分が初めて体験した大きな地震は阪神淡路大震災でした。初めての震度4。揺れが半端なかったです。あれを体験してからはちょっとの揺れでもビクッとなりました。


 さて今回は,国難のときのお話。日本は島国なので,他の国に比べたら国難が非常に少ないです。ですから一つの王朝が世界でもっとも続いている国です。しかも圧倒的な長さで。


 そうは言っても国難はもちろんありまして,もっともヤバかったのは元寇ですかね。人類史上最大の領土を誇り当時世界最強の軍隊だった元。その怖い怖い元が日本にやって来るというとんでもない国難です。


 それに対して日本はというと,当時の将軍は宮様で,執権は北条時宗。当時23歳。大卒一年目ぐらいの年齢です。しかも腹違いの兄は元と裏でつながっていて時宗に元に服従するように圧力をかけまくり。また,当時の皇室は兄弟げんかによって二つに分かれており,時宗からしたらどちらをたてればいいのか迷いますよね。日本史上最大の国難なのに,トップはグダグダだったのです。


 次に紹介するのはペリー来航。当時の将軍は徳川家慶。ペリーが来航したときには危篤状態でした。教科書に書いてあるペリーが一年後に再来航と書いてあるのはこれが理由でした。将軍家慶はペリーが来航して数日後に亡くなるので最終結論をどうするか,当時の老中首座であった阿部正弘は全国の大名に意見を伺いました。なんか民主主義的でよさげですが,これが後々江戸幕府が潰れるきっかけの一つとなるのですが,それはまた別のお話で。


 この数年後の日米修好通商条約のときにもグダグダで,当時の将軍は徳川家定。家慶の息子です。しかし,このころの将軍家は女性たちの権力争いがすごく,将軍の母になりたい女性たちが別の女性が生んだ将軍の子供たちを毒殺しまくったらしく,家慶の子供で唯一生き残ったのは家定でした。しかし,この家定も例に違わず毒殺未遂で運よく生き延びただけだったので,どうも脳に障害が残っており,しっかりした判断ができなかったみたいです。その家定もこの国難時に亡くなってしまい,開国するかどうかの瀬戸際なのに将軍がその責を果たすことができませんでした。


 次に紹介するのは関東大震災。この大震災のときには実は総理大臣が不在(臨時兼任の人はいました)だったのです。前の総理大臣が大震災の8日前に亡くなっていたためです。この未曽有の大惨事のときに行政のトップが不在。当時の政府はさぞてんやわんやだったことでしょう。そこで急遽あの山本権兵衛が総理大臣に就任し事態の収拾に努めました。


 その後同じような大震災が平成に2回も起きました。阪神淡路大震災と東日本大震災です。この2つの大震災のときにはどちらも総理大臣はいたにはいたのですが,対応がとんでもなくグダグダで復興ではなくさらに悪化しているのではというような政策でした。


このように,日本には数々の国難の際にグダグダだったにもかかわらず,国家としてやっていけるのは,ひとえに日本国民の底力だと思っています。



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