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智水社

自分を頼ってくる人を助けるために「勉強」ってするものです

 語呂合わせで考えると今日は俳句の日。ってのがあるのかどうか不明ですが(笑)。俳句の「俳」って何だろうっとずっと思っていたのですが,「俳」て「たしなむ」って読むらしいですね。ですから俳句とは句をたしなむすなわち言葉を楽しむといった意味になるのでしょうね。これ知っていたらなるほどってなります。国語の先生ならちゃんとそういった本質を教えてよと思いますが,先生というのは先生になってからおそらく勉強していない人が多いので,そういったことを授業するのは無理なのでしょうね。


 ってことで今回は,そんな話につながるようなお話。「勉強」というのは自分を頼ってくる人を助けるためにもやるものだというお話。


 これは昨日の,「夢」を強制するなというお話にも通じるのですが,学校でいうところの「夢」というのは何かに【なる】ということだといったお話をしました。そして学校は何かに【なる】ために勉強しなさいと指導します。もっと言えばそのためだけに勉強しなさいということです。たぶん自分たちがそうであるから。


 もちろん何かに【なる】ための勉強は大事です。何かに【なる】ことにより自分がやりたいこともできますし。


 しかし,普通の社会人の方々はおわかりだと思いますが,何かに【なってから】の方が勉強しなければなりません。その勉強とは学校で学ぶ基礎学力がベースとなっており,その勉強によって自分を頼る人を助けることができ,その助けすなわち仕事により報酬を得るということです。逆に言えばしっかり勉強なり努力して他人を助けることにより初めて報酬を得なければならないということです。


 今の学校の指導は利己的な考えがほとんどで,勉強する意義もほぼ利己的だけといっていいと思います。いい学校に行っていいとこに就職ができるとか,人生の選択肢が多くなるとか。確かにそれも大事だと思いますが,勉強というのは利他的な精神すなわち誰かを助けるためにやることも大事な目的なのです。


 ある高校の卒業文集の先生たちの言葉のなかで,40人ぐらいいる先生の中で1人だけが誰かの役に立てる人になってください的な言葉を書いていましたが,その他の先生の言葉はすべて利己的なことを言及されていました。


 ということは,やはり学校の先生は何かに【なる】ためだけに勉強することを推奨しているということは自分たちもそうだということを暴露しているのではと思います。


 すなわち,学校の先生になってからは勉強していないということですね。まあ,ぶっちゃけ学校の先生って,先生になってからは勉強しなくても成り立ちますし,世の中でその職に就いて勉強する必要がないおそらく唯一の職業ではないでしょうか。


 自分の知り合いの先生からやはりそういった先生が多いと嘆かれたことがあります。自分は給料泥棒にだけはなりたくないから日々ちゃんと自分の受け持ち科目の勉強をしていると。


 実際その先生の本棚にはたくさんのその科目に関する本がありましたし,その本の一部を見せてもらったら,ちゃんとメモ書きや付箋も貼ってありました。こういったちゃんとされている先生がいらっしゃることもまた事実です。


 日本の学力が落ちている原因って実はこういった根本的な問題なのかもしれないですよね。

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