昨日から10月に入りましたが,昨日から今日にかけてボケが進行したかもという症状が複数回出てしまいました。10月は自分にとって鬼門なんでしょうか。もしくは,本当にヤバい状態なのでしょうか。今まであまりしたことがないミスをやらかすとちょっと不安になります。
さて今回は,昨日の続きである近衛文麿のお話。昨日は第一次近衛内閣のお話でした。あくまで自分の感想なんですが,第一次近衛内閣って自分たちの不備で日中戦争が拡大しまくり,わあ~どうしようってなって放り投げたという印象です。
んでなぜかこの後,約一年半後に第二次近衛内閣が組閣されます。近衛文麿って神輿は軽い方がいいという典型な人だったのでしょうか。主役はスカスカやけど脇を固めましたっていうドラマみたいです。
この第二次近衛内閣は,教科書に書かれているお話だと大東亜共栄圏や日独伊三国同盟の締結や大政翼賛会の発足などがあります。
日独伊三国同盟にはもちろん反対の声もありました。昔からドイツと手を組んだ国はロクな結果になっていないといった。おそらくこっちが本筋であり正論だったと思いますが,この当時は正論が通じなかったのでしょうね。
なにせ,この頃は対米開戦に政府やマスコミが舵を取り始めていた時で,スローガンも「鬼畜英米」から「鬼畜米英」にしれ-って変わった時期だったと思います。なんでこのスローガンが変わったのかは後で説明します。小さなことですが,これが大日本帝国が潰れた大きな原因の一つなのです。
そのあとすぐに大政翼賛会が発足されて,日本はこれで完全にファシズムへと移行します。国や政府よりも政党が上になった瞬間です。
そんなこんなで,ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に攻め込みます。日本から特に陸軍からすればソ連は仮想敵国でもありますし,日独伊三国同盟に則ってソ連を挟撃できるやんという至極当たり前のことを松岡洋右は主張しますが,近衛や風見たちはそれを却下しあくまで対米開戦を望みます。そして,邪魔になった松岡を更迭するためだけに内閣を総辞職します。
正論が通じない世の中。あれ?どっかで聞いたような。って今でしょ!?(笑)
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